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810年の政変はなぜ薬子の変と呼ばれたか。

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  • by 北川

内容説明 コメント(0件)

「薬子の変」は、810年に起きた政治的事件である。
この事件では嵯峨天皇とその同母兄の平城太上天皇の間に政治的対立がおこり、迅速に兵を動かした嵯峨天皇が勝利。平城太上天皇が出家して決着がついた。薬子の変と呼ばれたのは、太上天皇の寵愛を受けて権威を振るった藤原薬子とその兄の藤原仲成が、事変の責めを追う張本人として扱われてきたからである。

資料の原本内容

「810年の政変はなぜ薬子の変と呼ばれたか。
また、何故近年平城太上天皇の変と呼ばれるようになったか。」
 「薬子の変」は、810年に起きた政治的事件である。
 この事件では嵯峨天皇とその同母兄の平城太上天皇の間に政治的対立がおこり、迅速に兵を動かした嵯峨天皇が勝利。平城太上天皇が出家して決着がついた。薬子の変と呼ばれたのは、太上天皇の寵愛を受けて権威を振るった藤原薬子とその兄の藤原仲成が、事変の責めを追う張本人として扱われてきたからである。
 対立していた嵯峨天皇、平城太上天皇の仲を決定的に裂いたのが、平城京遷都の断行であった。そしてこれらを行ったのが薬子らである。しかし、それは平城太上天皇...

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